京極高和公に従い、兵庫県龍野市から丸亀に移り、延宝2年(1674)に創立された。観音堂には弘法作といわれる観音像があり、地蔵堂の地蔵像は鎌倉時代の作と伝えられる。墓地には、文学の井上通女・三田義勝・巖村南里、俳諧の齋田五蕉、砲術の赤羽杢之進、医術の三田耕亭や勤皇家土肥大作、大阪屋黒瀬家等の墓碑がある。