京極氏の前に丸亀藩主だった山崎家代々の菩提寺。寛永18年(1641)、山崎家治が肥前富岡藩主(現在の熊本県天草郡)から西讃岐五万石余で入府した際、その菩提寺として建立した。浄土宗知恩院の末寺で、山崎家治・俊家の位牌があり、また観音堂西側の墓地には、丸亀城の石垣を築いたといわれる名工・羽坂重三郎や四国で最初の種痘を実施した医師・河田雄禎の墓もある。市指定文化財の観音堂は、本堂と同時期の桃山時代に建立されたとみられ、市内では屈指の古い建造物である。昭和62年に復元修理を終えている。本尊は弘法大師の作と伝えられる十一面観音菩薩立像。