慶長6年(1601)宇多津御供所(現 坂出市)から移ってきた。旧地の御供所の地名伝説は、住民が讃留霊王、あるいは崇徳院に、供御を奉ったことに由来するともいう。庭には師弟の松(翠玉の松)、墓地には菊壺茂椎、竹本津太夫の墓がある。