古墳時代前期(4世紀中頃)に造られた全長約100mの前方後円墳で、この時期のものとしては四国最大の規模。後円部中央には、割竹型(わりたけがた)の刳抜式(くりぬきしき)石棺が3基残っている。古墳の名称は、近くにあった円福寺の住職快天の卵塔があったことに由来する。 平成16年9月30日、国の史跡に指定された。観覧自由。